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2020.08.31

小倉文学散歩道★小さな文学館のような「森鴎外旧居」★スタッフ同行でのご案内も可能です♪(要予約)

皆さん、こんにちは(*´▽`*)
文豪の森鴎外さん、皆様ご存知ですよね!
なんと、「森鴎外旧居」はホテルテトラ北九州のすぐ近く、2~3分で行くことが可能です♪
お客様がご希望であれば、日曜日の朝
スタッフ同行でご案内もさせて頂きますので、お気軽にお声掛けください。

森鴎外とは・・・

医者の家系に生まれ学問に優れ神童と呼ばれた幼少期。後に軍医として官吏の道を歩み、また同時に翻訳、小説、随筆、歴史小説と文豪としても大きな足跡を残していった森鴎外。福岡県北九州市の小倉の町へ、37歳の時に軍医として赴任します。約3年間の滞在中の前半を過ごした場所には美しい庭を持つ、まるで小さな文学館のような「森鴎外旧居」。森鴎外の生涯と共に福岡県北九州市にある「森鴎外旧居」を御紹介致します。
JR小倉駅南口から出て、北九州モノレールの平和通駅まで直進。左手にある、その名の通り“オーガイストリート”と呼ばれる路地へ進むと美しく整った生け垣に囲まれた一角が右手に現れます。福岡県北九州市小倉北区鍛冶町にある「森鴎外旧居」です。

1897年(明治30年)頃に建てられた木造瓦葺き平屋建の住居。
文豪・森鴎外(1862年~1922年)が1899年(明治32年)6月24日~1900年(明治33年)12月24日まで住んでいた場所です。小倉駅から徒歩約10分というアクセス環境で、入館料・無料といった観光に最適なスポットです。

また小倉駅南口には、「森鴎外京町住居跡碑」もあります。小倉滞在時の後半、1900年(明治33年)12月24日~1902年(明治35年)3月26日まで森鴎外が京町の住居に住んでいた事を記念して建立されたものです。鍛冶町にある旧居と共に併せて巡ってみて下さい。

※ 正確な表記は「森鷗外」と中央のカモメの字が<「區」+「鳥」>となりますが閲覧性保持のため新字体「鴎」を利用した「森鴎外」としています。
森鴎外は1862年(文久2年)、島根県鹿足(かのあし)郡津和野町に代々医者である家系に生まれます。本名は森林太郎。幼少から神童と呼ばれ、5歳で漢学、8歳で蘭学、10歳でドイツ語を学びます。11歳でドイツ人講師によりドイツ語で授業が行われる東京医学校予科(現在の東京大学医学部)に入学し、14歳の時に政府が費用を支出する官費生となります。

当時、東京医学校予科の入学規定の年齢は14歳であり、3歳足りないため1860年(万延元年)生まれとして(それでも規定より1歳足らずに)願書を提出し以後、公にはこの年令に従ったとの“神童”の名に相応しい逸話が残っています。
大学卒業後に陸軍軍医副となり、衛生学研究のためにドイツへ留学。1888年(明治21年)に日本に帰国してからは軍医、並びに翻訳や執筆と文学者としても活躍していきます。

こちらの森鴎外の胸像は文化勲章受章の彫刻家・中村晋也(1926年~現在)によって制作されたもの。威厳に満ち溢れた森鴎外を強く感じられます。
1899年(明治32年)に当時37歳の森鴎外は第十二師団軍医部長として福岡県北九州市小倉に着任します。最初に鍛冶町に住み、後に京町に転居、第一師団軍医部長として東京へ移るまでの約3年間を小倉の地で過ごします。
こちらの鍛冶町にある「森鴎外旧居」は復元工事を経てから1982年(昭和57年)に一般公開されました。

旧居内の“通り土間”は簡易的な展示室となっていて森家の家系図や森鴎外の年表が壁に飾られ、その他、森鴎外の著作、関連書なども並べてあります。音声ガイダンスもあるので、ボタンを押して聴いてみて下さい。

書棚や関連書籍が展示してある奥は“吊階段の間”。当時、二階の屋根裏に上がる際は滑車で上下させて利用していたものです。

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